#4 Armin Van Buuren
アーミン・ヴァン・ブーレン
「きわめておかしな現象だと思うよ」アーミン・ヴァン・ブーレンは電話の向こうで事務的に言う。DJ Magはこのトランス・プロデューサーのレジェンドと、ゴースト作品について話していた ー アーミンが強く捉えている問題だ。「たとえば、誰だってMilli Vanilliのスキャンダルを覚えてる。みんながどう騙されたって感じたか。誰かが関わっていないトラックに自分の名前を置くなら、スタジオにさえいなかったなら、間違ってると思う。僕は一度もゴースト・プロデューサーを使ったことはないよ。自信を持って言える」そう彼は述べた。
勤勉として知られる王者が自分でトラックを作ることは、アーミン・ファンにとってごく当たり前の話。自身のArmadaインプリントとラジオショー/レーベル・A State Of Tranceを通して、彼は20年近くに渡り楽曲をリリースしてきた。それだけで世界中のファンを得た訳でもない。 彼は、素晴らしいステージについてもリスペクトされている。2014年のArmin Onlyツアーでは、劇場ディレクター、ぶらんこアーティスト、ダンサー、シンガー、ミュージシャンなど総勢35名を連れ立って、"Intense"はよりビッグに行われた。
「財政的には、このツアーをやるのは最悪の決定だったろうね」と、悲しげに言うアーミン。「でも、僕個人にとっては最高の選択。人生で最高の時間だったよ!公演が終わって、もうIntenseファミリーに会えないのはすごく悲しい。僕らは本当に親しいチームだったんだ」情熱的に、彼は締めた。アーミンのIntenseツアーは地球の隅から隅まで横断し、訪れたのはウクライナ、インド、ロシア、アメリカ、南アフリカ、オーストラリア…やばいね!まるでそれだけじゃ忙しくないみたいに、今年も通常通りイビサに拠点を置き続けたアーミン。毎週木曜は彼を取り巻く熱狂的な…ホワイト島のトランスファンのためにプレイした。「イビサはいつも面白い、今年はもうエクセレントだった。そこでDJすると帰ってきた感じがするんだ」彼はイビサの豪華なクラブ・Ushuaiaについて話す。長いこと会場に選んでいたPrivilegeから引っ越したのだ。
それで、トランス界のリーダーとして大成功したもう一年後の10月29日、彼は6枚目となるスタジオ・アルバム‘Embrace’をリリース。アーミン・ヴァン・ブレーンは今もこの仕事が好きかって?もちろんだ。「良いDJであるには、会場を読めて、ダンサーを読めなきゃいけない。そして選曲はまちがいなく最重要!だから、DJでいられるのは特別なんだ。僕はいまだに毎回、プレイの度にとてもエキサイトしてるよ」