彼は、ハードワーク、パンク・ロックなやり方、そして数え切れないほどのケーキを使ったDIY理論でひとつの音楽帝国を築いた。今月開催されるDJ MagマイアミパーティーでトップDJをするために準備をしてるので、我々はDim Makのファンを楽しませ、彼の超クリエイティブな衝動で満足させる事が出来るのか検証する…。

 

彼はもちろん有名なステージパフォーマンスについても語っている。世界中のフェスで熱狂的な観客にクリームケーキを投げつける事で有名になった。観客達は攻撃的なノイズとハードビートの曲とともに、甘ったるいケーキを彼から投げつけられるチャンスが欲しくてたまらないのだ。しかしこのホールケーキのパフォーマンスはEDMの大物を少しいらつかせ始めている。ジレンマだ。観客を自分の音楽にフォーカスさせたいのだが、ファンの望みも叶えなきゃいけないことをちゃんと理解しているのだ。

 

「俺は自分自身について考える必要がある。俺は自分の音楽を広めるためにここにいるんだよ。」SteveはDJ Magにこう話す。「今、ファンの考えによって3つ、ゴールがあるんだ。彼ら僕の曲をたった1つの曲しか知らないんだ。だから"Pursuit Of Happiness"、"Boneless"、"No Beef"のどれであれプレイする限り、それが俺のこと全てで、俺はケーキを欲しがる。俺のワガママなゴールは‘Home We’ll Go’をプレイすることで、この3つの新しい曲は俺が単に観客の反応を知りたかったのとシステムを通してこれを聞きたかったから作っただけだ。だからケーキはもはやワガママじゃ無く、要求に対する強制になってるんだ。みんなが求めるから俺も応える。たまにさ、"あいつまだくそみたいなケーキ投げてるぞ、どんだけダサいんだよ!"って感じになるんだよ。だからケーキを投げなかったショーが2回あるんだけど、あれはマジおもしろかったぜ!」

 

Steveは彼自身もケーキ投げのパフォーマンスを楽しんでいると言っていいだろう。彼の最近のステージでの顔と、彼の音楽ルーツは矛盾してると大いに言える。ロサンゼルスの38歳の日系アメリカ人アーティストは 、Benihanaレストランのチェーンビジネスを大成功させたロッキー青木の息子だー 彼自身の会社を主催している。もちろん彼はDJだが、同時にレコードプロデューサーでもあり、リミキサー、今まさに設立20周年を祝っているDim Makレーベルのオーナーでもある(DIM Makは中国語で"死の感触"という意味で、伝説や中国武術の致死テクニックにも関連している)。彼は才能あるEDMクリエーターとしての評価を構築し、アメリカのフェスの常識を覆す大規模なトラックを計画中だ。

 

成功するように作られた曲だ:巧妙なミュージシャンの仕事だ。アルバム"Neon Future I"に収録されているフラックス・パヴィリオンとコラボした"Get Me Out Of Here"はブレイクビーツの要素を含んだ狂気のブロステップ、しかし尊敬すべきRich The KidとILoveMakonnenとコラボした新しいヒップホップトラック、"How Else"は独創的で計画された確かな裏切りだ。だが、SteveはEDMの悪とされる面も取り入れている。彼を崇拝する全てのファンのために。DJ Mag Top 100 DJsで上位にランキングされるのに充分な投票数を獲得できる数のファン。彼の華々しさとクリーム菓子パフォーマンスの公演を見て、何これ?音楽?って感じて、恨んだり意地の悪い人がいる。彼のファン達はアンチを気になんてしないだろうが、Steveにとってはそれすらも小さなことでしかない、特に彼の潜在的な音楽の優先順位がどこにあるかを考える時には。

 

 

STRAIGHT-EDGE

今、アメリカ、ヨーロッパ、アジアで有名な歌手やラッパー、バンドとビッグステージで演奏している事を考えると彼はハードコアパンクロックのスタート期にいて、"This Machine Kills"は90年代後半にカリフォルニアのニューポートビーチがホームタウンとして住んでいたバンドだ。

 

「俺が敏感な子供だった時…。」Steveは言う、「俺は田舎くさい白人の町で1人きりのアジア人のガキだった。俺は完全に孤立してた。フットボールでも何をするにも普通のガキ達に全然なじめなかった。だけどスケーターをやってるヤツらを見つけて、FugaziとかMinor Threatのミックステープを聴かせてもらったんだ。そしたら歌詞が俺に「やれるぜ、壁をぶち壊せ、一緒にやれるぜ!」って言ってきたんだ。あいつらは他人を気にせず、スケートとかくだらない事をしてる。これが俺が俺の人生から学んだことだよ。小さなコミュニティーは協力してお互いに励まし合ってんだ。」

 

Steveがパンクのこういった部分、特にドラッグとか酒を避けるストレートエッジの考え方、から培った自立した精神は皮肉にもアンダーグラウンドの倫理だ。Steveは自分のバンドの一部となり、パンクカルチャーに完全に取り込まれる事で、ハードコアのDIY精神を成長させた。

 

「俺がストレートエッジの世界から学んだことで一番大事なのは、何をするかとかクールになる方法じゃ無い。車とかバイク、イイ女でもない。その世界でなにを創造するか、だ。もしお前がジン(自費出版の雑誌)でバンドにインタビューをしたら、向こうからやってきて、目の前で、あんたクールだねって言って、人々を後押しすんだ。そいつらのライブに行ってパフォーマンスを見て、たぶんバンドをしたくなるだろう。それで君は初めてのライブをして、クールなやつね、この時代のカルチャーの手本となる何かを確かにしたことになる。この行動が俺がストレートエッジのライフスタイルから学んだ一番大事な事だ。君は物を作ってクリエイティブになることでもっと大きなものを手に入れる。」

 

PUNKY

このパンクロックの期間に刺激されて、Steveは父親の抜け目ない商才を手本にDim Makを設立した。この会社はクールなインディーバンドを市場に送り出した。Bloc Party、The Kills: 2000年代前半のポストパンク・リバイバルの時に人気が出たバンドだ。以前レーベルボスのテイストが、エレクトロと同じようにPunkyでととがった、しかしダンス向きの音に徐々に移行していった。

 

「俺たちは、流行に敏感なヤツら、インディー音楽を聴いてるヒップホップが好きなガキ達、LCDサウンドシステムを聴きたがってるヤツらのアンダーグラウンドシーンのマジでクールなカルチャーを始めたんだ。」と彼は言う。「俺がLAでDJを始めたときは週に3日くらいずっとプレイしてたよ。それでYeah Yeah YeahsとかThe Mars Volta、The Shins、The Killers、Bloc Partyを呼んでDJしてもらってた。そして2005年に、急成長するシーンで意欲的な2年が始まって、俺はリミックスの作り方を学ぶ事に決めたんだ。俺は同じようにバンドをしてた友達の1人と一緒に仕事して、彼がPro Toolsの使い方を教えてくれた。俺たちはWeird Scienceってゆうグループを一緒に始めて、2年間俺をトレーニングしてくれた。俺たちはたぶん30〜40曲くらいリミックスをした。俺はボックスでどうやって作るか勉強した。バンドでどんな感じで外に向けて作品を作るかわかったんだ。」「あれはエレクトロニック音楽のパンクみたいですっげぇと感じたよ。」彼は続ける。「俺の魂に刺さったね、『これが確かに俺の居場所だ、俺のアイデンティティーは俺のバックボーンと一緒になってエレクトロニックミュージックになった。』

 

Steveのスタイルが変化した時、アメリカのカルチャーも変化した。JusticeやMSTRKRFTはかつてエレクトロビートスタイルも同じ場所にいた。Bloody Beetrootsとのコラボ"Warp"のような重く、レイブのようなパワーを持つものである。EDMシーンの夜明けあたりで、無愛想を気取ったコンバースをはいたエレクトロパンクスがいたのだ。アメリカで再びダンスミュージックがメインストリームになった。Fatboy Slim、The ProdigyまたはThe Crystal Methodのような90年代に波に乗ったときをはるかしのぐ、とてつもない人気と、より商業的な複合型フェスティバルミュージックの到来を告げたせいなのか、そう言った音楽は誤ってEDMと名付けられた。簡単に『エレクトロニックダンスミュージック』と記述する、どんなものにも対応可能な言葉として呼ばれ始めたのは、アオキの音が明らかに影響した非常に特定の音を意味するためには便利なものとなり、現在広く使われている形容語句になった。しかし、彼のショーがより高価で精巧にり、音楽がはるかにより商業的な方向になったのだが、パンクミュージックがまだ、彼の音楽を色付ける一部であると彼自身、指摘したがっている。

 

「俺は"Misfits"をトラヴィス・バーカー(アメリカのパンクバンド・Blink-182’sのドラマー) のアルバムのためにプロデュースしたよ。ギターも全部書いて、自分でサンプル音を作って、ビート全体も作って、歌を付けて叫びまくって、そんでトラヴィスがドラムを叩いた。俺は"Wonderland"の"The Kids Will Have Their Say"も2012年に、Sick Boyと一緒に音楽を作ったよ。昔にハードコアパンクを一緒にしたオランダのプロデューサーはさ、スコットランドの伝説的パンク"The Exploited"からギターを弾いてもらうためにBig Johnを呼んできたんだぜ。俺が歌ってみんなで作ったんだ。多くは、エレクトロコミュニティに耳を傾けられなかったんだ、それは"No Beef"や他のもののように思われなかったんだ。でも、それが意味をなしたとき、俺は常に、ルーツを音楽のスタイルに保つ方法を見つけようとしたよ。全部のトラックにをそうするわけじゃないけど、そういった場所を持っていようとしてるんだ。」

 

NEGATIVE

Steveのフェスのショーが、彼をEDMの看板ボーイにした。彼のファンにとってケーキ投げや、腕に取り付けられたおもちゃや、機械的なドライアイスの大砲などの奇抜なショーは、壮観でまぎれもなくおもしろい。しかしそれが、彼の音楽に対する誠実な人柄を無視して評価する自称ハウスやテクノの請負人にとって、彼はとてもわかりやすいターゲットであり、悪いときは笑い者にされてしまう原因になっている。アンダーグラウンドからどうやって思われてるかを聞いた時、Steveは少し苛立った。けど、彼の返答は冷静だった。

 

「これは1つの意見だ。みんな自分たちが感じた事は何でも言おうとする」と、彼は肩をすくめる。「俺に何ができる? 縮こまってどっかで死ぬべきか(笑)? ほんとありのままで、イーストコーストがウエストコーストを嫌いなように、ニューヨーカーがカルフォルニアを嫌うように、至ってノーマルな事だよ。カルフォルニアに何ができる? 彼らの州を海に沈めるか? これはそれと同じだ。不運にも、何かに反発する超ネガティブな感情が存在するんだよ。」

 

「EDMって言葉はFunnyみたいなもんで、新しい言葉でもあるね。」と彼は続ける。「俺はEDMには2つの側面があると思ってる。EDMはメディアに"このクレイジーなやつは誰だ? DJがプレイしてたくさんの観客があつまって、しかもバンドじゃないって?"って言われ始めた時に言葉になったと思ってる。EDMはこんな感じで作られたんだ。それはそれで街のアンダーグラウンドの小さなクラブから産まれたんじゃなくて、成長したんだ。デトロイトのテクノとかシカゴのハウスみたいに。いずれにしろ結びつけるのは難しい。俺は別にEDMの味方をしてるわけじゃない。俺はエレクトロニックミュージックの味方だ。けど自分がこのカルチャーの一部分になっている事を誇りに持っているし、ここ数年EDMがフェスのメインステージをとれるようにサポートもしてきてる。俺はめちゃくちゃ幸運だ、フェスのステージで演奏できることをありがたく思ってるし、世界中の一番でかいステージでたくさんの観客を前に演奏してる。EDMが人生を変えるような文化的な瞬間に影響力を持っている事を誇りに思ってる。これは人生の肯定だよ、俺にとってだけじゃなくて全ての文化、関係してる全てのヤツにとってね。フェスでプレイする全てのヤツが、俺はそいつがハウスでもダブステップでもドラムンベースでも、EDMでも、トラップでも気にしない、注目してくれてる観客に向かってプレイしてる全てのヤツだ。 俺たちがカルチャーを変えてること、俺たちがやってることに気づかせるために世界に衝撃を与えた事に誇りを持つべきだ。」

 

「それがEDMと呼ばれようと呼ばれまいと、俺たちは桁外れのことをやっているんだし、君たちはそれを認めてる。」彼は続ける。「だけど音に関しては、EDMは音であってソウルじゃないし、カルチャーだけどソウルじゃない。まぁ1つの意見だけどね。トランスミュージックを嫌うヤツもいるしエレクトロニックミュージックを嫌うヤツもいる。これが嫌いあれが嫌いってうるさいヤツはたくさんいる。どうする? クリエイトし続けるだけだ。アンチに文句を言われた時は、ただもっとつくり続けろってAndy Warholが言ってただろ。」

 

Steve Aokiの"Neon Future"アルバム2枚が2014年と2015年にリリースされている。このアルバムは今までのものより、彼をより際立たせるもので、Snoop Dogg、Linkin ParkとFall Out Boy、Will. I. Amとのコラボだ。タイトルに忠実に、このアルバムは科学の想像と真実にこだわったスティーヴの違う側面を見せている。世界的に有名な科学者達が特異点理論かのRay Kurzweilから天文物理学者のKip Thorneまで、レコードに登場しているのだ。

 

 

「俺、Kurzweilの特異点と寿命延長、永遠の命の話を持ってんだよね。」とSteveは熱心だ。「これは科学をベースにした未来の可能性だよ。ロボットとの共存とか、そのうち出来るようになる脳へのテクノロジーのアップロードとか、特異点が論じてる山ほどのクレイジーな事とかね。"Neon Future Part Ⅱ"は宇宙や新たな発見にフォーカスしてる。"Neon Future Part Ⅱ"の始めの曲の"Time Capsule"はモノローグで、俺の声が変にビッチな感じで宇宙旅行について語ってんだ。新しいことを発見する事は、人類のあるべき姿だ。俺たちはコロンブスだ。俺たちは新しいテリトリーや新しい物を欲していて、これからの宇宙は次のフロンティアだよ。」

スターウォーズ: The Force AwakensのディレクターであるJJ Abramsが挨拶に立ち寄る;当然だが、Aokiはあのシリーズ物のサイエンスフィクションの最新映画が大好きなんだよ。「あれは素晴らしいよ。スターウォーズの何が一番イイかなんて難しすぎて言えないよ、JJ Abramsは完璧にやってる。涙目になったり前のめりになる瞬間がめちゃくちゃあってさ。俺はスターウォーズマニアで大ファンなんだ。」

 

TRANSITION

2016年現在、Steveは変化の期間を耐えていると言っている。Felix JohnやWalk The Moon、Fourokiという他のコラボレート企画、他にもたくさんのヒップホップ関連の新しいMCのためのプロダクションなど、たくさんの新しい音楽が登場している。本や世界中で開催される20個のパーティーが、Dim Makの20周年を祝う予定だ。彼はとりわけ、同期のアーティストが立ち寄ってくれたり、気の向くままに創作できる今や新しいハブとなった彼のDim Makオフィスの新しいスタジオを最も喜んでいる。

 

「俺のスタジオはDim Makのオフィスの中にあるんだけど、すごいんだ、だって俺のスタジオの場所は、ローレル・キャニオンの自宅だったんだぜ。」彼はさらに説明してくれた。「Dim Makのやつらと遊びに行ったり仕事しに行くときは、俺はスタジオに居てみんながスタジオに来てから遊びに行くんだ。俺たちは1週間をスタジオで過ごして、俺はDim Makのクリエイティブな過程を担ってるやつらをまとめるのが大好きだ。俺は素晴らしいアーティスト達の集団を持っていて、1ヶ月間ずっと新しい音楽の仕事をしている。君が期待するようなことは無いよ。」

 

DJ MagはSteveと比較的簡単なコネクションを持っているが、結局最後は我々が与えられた持ち時間よりもずっと長く話をしてくれる。彼は丁重なインタビュー相手であり、フレンドリーでじっくり考えて返答してくれる。君は彼の仕事が策略なんかでは無く心からのパッションだと気づくはずだ。たとえ彼の音が変わったとしても、若い頃を特徴づけた印象を、熱いドライブが鳴り続ける必要がある。 それがじっとしている様子のSteve Aokiの存在意義だ。

 

「俺はたくさんの変化を乗り越えてきたんだ。」と彼はまとめた。「箱の中に押し込められて固められるより最悪なことは無い。音楽の良いところは、すごい自由で、自分の音楽の解釈の仕方で自分の生産に影響するたくさんの違う力があることだ。そしてそれは音楽自身じゃない。それは世界であり出会う人々であり、目にするたくさんのものだ。」

 

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